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エルフュー犬舎主Brian Tailor Hays氏公認

◆ エルフュージャパン犬舎は純粋血統継承が目的です。

当犬舎は、商売が目的では無く純粋なエルフュー系統の血脈を継承しながら、エルフュー系の資質の検証を目的としてWing&Shot訓練の成果を個人的に楽しんでいます。

ギャラリー

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繁殖用台牡 ELHEW JAKE FDSB 1620172

2009年7月13日生れで生後1才5ヶ月のJAKEは米国エルフュー犬舎から2010年12/02に手荷物扱いでエルフュージャパン犬舎へ持ち帰りました。
JAKEの尾は、箒の柄に例えられる尾だそうです。

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米国エルフュー犬舎訪問

2008年10月5日米国エルフュー犬舎を訪問しました。
オータムメモリー犬舎で繁殖用台牝を購入予定でしたが意外な展開になりました。明日断りに言ってあげるからと言われ、エルフュー系統の存続を依頼されました。

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米国エルフュー犬舎再訪問

2010年11月にELHEW JAKEとELHEW MIDGEを引き取りに再び米国エルフュー犬舎を訪問しました。 通訳をお頼みした米国商務省の顧問をやられて居た加納良雄氏の交渉でエルフュー犬舎の承認を頂き草案用紙を持って記念写真を撮りました。

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繁殖用台牝 ELHEW MIGGE FDSB 1620202

2009年8月10日生れで生後1才4ヶ月のMIDGEは米国エルフュー犬舎から2010年12/02に手荷物扱いでエルフュージャパン犬舎へ持ち帰りました。
MIDGEの尾は、ミツバチの針に例えるそうです。

エルフュージャパン犬舎は販売目的では無くエルフューの血統を継承する事が目的です。お知らせ

★ エルフュージャパン犬舎の経歴と研究の概要
★ 1,965年、23才で、エルフュー系の研究を本格的に開始しました。
以下の文章を読み上げます。
 研究の動機は、土佐猟犬研究所の新村 寿敏師匠に見せて頂いた、ROBERT G. WEHLE氏の著書WING & SHOTの初版との出会いから始まりました。
私は英語は全然読めないので当初は写真やイラストを見て楽しむくらいでしたが、翌年の1,966年にWING & SHOT第二版を出版と同時に全ての著作権を日本の鳥猟犬愛好家の人達を対称にROBERT G. WEHLE氏は全ての著作権を放棄して頂き、茨城県の坪井 義夫先生が翻訳しました。
 然しこの翻訳文のWING & SHOTを何度読んでも具体的に成功する鳥猟犬訓練を行う為の訓練技術に何度読み返しても、お先真っ暗で、余り役立ちませんでした。
 其の暗闇に光が差した記憶が思い浮かびます。
1,979年03月08日トルーマンコールス氏の情報を土佐猟犬研究所の師匠が便箋に書き残した貴重な記録でした。
 トルーマンコールス氏は、終戦後通信兵としてマッカーサーと一緒に1945年8月に駐留しました。
当時トルーマンコールス氏は、米国で48団体のスポーティングドッグ倶楽部を統轄し、広大なフィールドの管理者でした。
彼は米国エルフュー犬舎主と懇意な中で、常にエルフュー犬舎で飼育管理を行っていたベテランのエラシュルツ夫妻を訪ねて、エルフュー犬舎の飼育管理を手伝い乍ら様々な事を学びました。
 その情報を日本で話した事を土佐猟犬研究所の師匠が便箋に木目細かく書き残していました。
恥ずかしながら、読み書きの苦手な私は便箋を透明プラスティックのフォルダーに入れてカタカナでフリガナを振って頂き学習すると共に、土佐猟犬研究所の師匠から飼育管理から始まる著書WING & SHOT訓練を利用した失敗し無い鳥猟犬訓練の方法を教わる事が出来ました。
私達はこの訓練方法を総称して「
Wing&Shot訓練」と命名しました。
以来私の鳥猟犬訓練は45年以上にわたってWing&Shot訓練を行う事で、私なりに成功しています。

★ 土佐猟犬研究所の英ポ、サンランド・シーザを購入し、Wing&Shot訓練を行いました。
以下の文章を読み上げます。
 1980年03月20日、生後62日目でシーザのWing&Shot鼻入れ訓練を始めて行いました。
Wing&Shot鼻入れ訓練については、別途訓練について記述しますが、ここではサンランド・シーザを使って始めてWing&Shot鼻入れ訓練を行った経験を当時のメモなどを基に思い出しながら簡単に述べておきます。
まず最初に、Wing&Shot鼻入れ訓練の前準備について説明します。
(1) 良く飛ぶ鶉を5羽用意します。
 良く飛ぶ鶉と言うのは、飛翔した鶉が訓練犬の視覚から見え無くなるまで飛び去って逃げる飛翔力の強い鶉の事です。
(2) ウインド・ソックスを用意します。
 ウインド・ソックスとは、風の方向が視覚的に確認出来る様に、百均ショップで販売されている荷造り用のリボンやVHSビデオテープ等を用意します。

(3) ウズラを放鳥する訓練フィールドの位置を確実に把握するための竹竿を5本用意します。
(4) 以上の準備が出来たら訓練フィールドの放鳥する場所を5箇所決定して、その場所へ竹を立て、背丈ぐらいの位置に2〜30センチの長さのウインド・ソックスを良く風になびく様に取り付けて、地上3〜40センチの位置に同じ様にウインド・ソックスを結びつけます。
(5) 以上の準備が整ったら、必ず手袋をして、鶉を優しく掴み、放鳥する場所を足先でポンと蹴って、前塞がりの窪みを作り、その中へ軽くポンと投げ込みます。
(6) 5カ所全て放鳥が終わったら、10分以上待って、訓練に最適な風工合を待ちます。
その待ち時間に、直系3〜4センチ位の小石を10個程度拾い集めてポケットに入れておきます。
以上の条件が整ったら、いよいよ鼻入れ訓練を開始しますが、若し絶好の風が吹かない場合は、勿体ない等と思わないで訓練を取りやめます。
 シーザの場合は良い風に恵まれて、鼻入れ訓練を行う事が出来ました。
産箱から始まる基礎訓練を行った、エルフュー系統はチェックコードは必要無いですが、シーザには、箸回りくらいの抵抗の少ないナイロン製リードを付けて、風下から優しく励ましながら口笛でバードコールを送りながら放鳥鶉向けて誘導しました。
第一バードと第二バードは地鼻を使ったりしながら何とかフラッシュ出来たので、誉めてやりながら第三バードへ向かうと不安そうな雰囲気で尾をピンと立てて止まりました。
バードコールを送り少し時間をおくとリロケートして何とかポイント出来ました。
チェックコードの端を押さえて、低い位置のウインド・ソックスの方向がシーザの鼻の位置に向いた時に優しくポンと小石を投げて緊張感を助長させました。
小石を数個投げたら、投げた小石の雰囲気に負けてスタンチを破り、その方向へ飛び込む様な体制で走り込むと運良く鶉が飛び出しました。
シーザは追い掛けようとするのでチェックコードで静止させ体を優しく撫でながら優しく小声で誉めてやり少し落ち着かせます。
 その場所で前足を優しく上に上げた状態で、ゆっくり360度2回くらい私も一緒に回して前方へ飛び去った鶉を忘れさせてから第四バード向けて誘導させました。
前足を上げる行為は米国のナショナルチャンピオン戦で良く見かける行為ですが日本キジ猟犬としての訓練では、あの様に首輪を掴んで引き出してくる様な手荒な事は絶対にやらないで優しく扱うべきです。
シーザは、第四バードと第五バードを上手くポイント出来たので、私は心の底から誉めてやりました。
 余談ですが、鼻入れ訓練で良い仕事が出来た行為を訓練者が見て心から嬉しくてたまらないと言う感情が湧いてこない人は訓練に失敗します。
シーザの鼻入れ訓練が成功した翌日1980年03月21日の早朝に北山の正蓮寺ゴルフ場近くでシーザを放犬しました。
シーザはよく鼻を使いながら何かを探して夢中で走り回っていました。
羊歯が生い茂る檜の山へ入って暫くすると羊歯も揺れないし見失った感じになり暫く待ったのですが帰って来る事も無く心配になり呼びのホイッスルを吹くと30メートル前方の羊歯の中から牡キジが真上向けて飛びたつと同時にシーザが飛び掛かろうとする姿が見えて私は大興奮思わず大声で誉めてやりましたが、もっと冷静に心から誉めてやれば良かったと後で反省しました。
 シーザの初猟は、土佐カントリー近くの雑木林で日本キジ猟を行いました。
放犬して20分くらいで見事なポイントをしたので、シーザの後ろについてゴーのホイッスルを吹くと牡雉が舞い上がったので私のハマダ製の水平二連両引きが火を噴いて一発で仕留めシーザの左先方5メートルくらいの斜面へドスンと音をたてて落下しました。
ところがシーザはいきなり斜面を50メートル位い駆け下りていったので、私はあわててシーザを呼び戻しましたが帰ろうとしないで何かを噛んでいるのです。
それが私の撃った牡雉だったのです。
暫く好きな様にさせておいたら満足したのか運搬して私の所へ帰って来ました。
こんな楽しい狩猟も長続きする事無くシイザが誕生過ぎてのヤマドリ猟でヤマドリをポイントして、いきなり癲癇を起こして斜面を転げ落ちて唇が真っ青になって引き付けを起こしてしまいました。
実は、運が悪ければこの様な結果になってしまうと言う事は前もって理解した上で、敢えてシーザを訓練したのでした。
 シーザの血統は、シーザの曾祖父のグンマ・オカダ・パラジンズ・アップが生後8ヶ月〜1年3ヶ月で、この病気になる可能性のある系統だったそうです。
然し、このパラジンズ・アップを交配してシーザの様な猟芸に富んだ子犬が沢山繁殖された事も事実で、その猟芸が見られた事もパラジンズ・アップのお陰だと今でも発病しなければと惜しまれます。

    

★ 再び1981年11月10日生まれのサンランド・ハイエスト・ジョリーを購入してWing&Shot訓練にチャレンジしました。
以下の文章を読み上げます。
 サンランド・シーザは、8万円で購入しましたが、不運にも予期していた血統的疾患で発病したので、ハイエスト・ジョリーは無料で良いからと言われましたが、狩猟期間中でしたので2月15日を過ぎるまで預かって頂く管理費用として3万円支払いました。

    

 ハイエスト・ジョリーのWing&Shot鼻入れ訓練は、訓練用鶉の入手が遅れて、生後186日目の1982年4月15日偶然私の誕生日にWing&Shot鼻入れ訓練を前回のシーザと同じ場所を使って全く同じ訓練を行いました。
 訓練の結果は、シーザと違って第二バードから全てポイント出来ました。
 Wing&Shot鼻入れ訓練を1982年4月15日の木曜日に行ったので、出来るだけ早く自然鳥の日本キジに当てたいので、土佐猟犬研究所の師匠に訓練を習っていた割烹料理職人の藤田猟友に相談したら休猟区で良い所が有るので日曜日に案内してくれるとの事で、鼻入れから三日後1982年4月18日の日曜日に旧窪川町現在は、合併して四万十市の呉坂の旧道を走っていたら前方の道路を日本キジの牡が這っていました。
私の車に気づいて道路の下へ逃げ込む牡キジを目撃しました。
静かにバックして車を駐車して、ジョリーをケージから出して排便をさせてから、道路を奥向けて放犬しました。
ジョリーはキジの居た場所を走り抜けたかと思ったら一瞬ブレーキが掛かり左斜面を少し用心しながら下向けて走り込むと鼻先から牡キジが鳴きながら飛び去りました。
ジョリーは少し興奮して追い掛けましたが、数分で冷静さを取り戻し、この場所で12羽のキジをフラッシュさせ、8回ポイントすると言う夢の様なバードワークを見せてくれました。
 その後、ジョリーは土讃線土佐山田駅の北側のフィールドで訓練を行う事で日本キジを確実にポイント出来る様に仕上がったので秋の全猟高知中央支部予選のパピー部門へ出犬しました。
 相手犬はセターでしたが、そのセターが通りすぎた場所でジョリーのポイントを確認しました。
ギャラリーからもポイントしたぞと言う声も聞こえたのですが、セターが走り抜けた後なので、まさかゲームが居るとは思えず、ジョリーの後ろからポイント宣言をする事無くジョリーに「ノーゲーム」と叱咤すると走り込み小綬鶏の群れが一斉にギャラリーの頭の上を飛び去りました。
その後もジョリーは冷静に上段の荒れ田に向かいゲーム臭を感知して慎重に捜索しましたがゲームをポイントする事無く競技は終了しました。
後で聞いたのですが、このゲーム臭は、ギャラリーが牡キジを踏み出した残臭だったそうです。
ジョリーは一応予選は通過しましたが、ジョリーを信頼する事が出来ず、全てが私の経験不足によるハンドルミスでした。
 ジョリーの初猟期は、11月15日に香川県の山本町へ猟友3人で一日だけの日帰り猟でした。
 同行者の一人は不動産センターの社長で東京の某犬舎から英セターを数頭購入して繁殖販売を行っていました。
社長のセターと藤田氏のポインターと私のジョリーとで午前中3人別行動で雉猟を行いました。
 私のジョリーは数回ポイントしましたが牝キジが多く、牡キジへのポイントは二度だけでしたが、何とか射止める事が出来て、私だけが午前中に定数獲る事が出来ました。
 私が獲った二羽の牡キジは、昼食時に、毛を抜かないで皮を剥ぎ取って肉だけ切り取り、塩コショウと醤油味で焼き肉にして、三人で一切れ残らず全て美味しく頂きました。
 午後は、三人で五時過ぎまで、ジョリーだけを使って、楽しい日本キジ猟を行い、二人とも定数獲る事が出来て大喜びでした。

  

 楽しい初猟を終えて帰路の途中、国道32号線沿いにある焼き肉店で社長の奢りで焼き肉を満腹になるまでご馳走になり、犬談義で盛り上がりました。
 その話の中で社長はセターを諦めて、サンランド系を飼いたいので紹介してくれと頼まれ、翌年の1,983年6月15日生まれのセターの牝サンランド・ハイエスト・サリーを購入しました。
 サリーのWing&Shot鼻入れ基礎訓練は、私が協力して師匠が仕上げました。
然し、オーナーの社長は訓練経験が無いので基礎訓練されたサリーを維持する事が出来ず、何度か矯正訓練を行いましたが、遂にサリーを諦めて、藤田氏に譲りました。
 藤田氏は、サンランド・ハリーを使っていたので、私の弟に譲りました。
 このサリーは弟が飼った犬では、自他とも認める歴代最高の名犬で、弟は親父と同居していて、日曜ハンターでしたが、鴨・キジ・ヤマドリ・小綬鶏等を毎回沢山獲って来るので親父が冷凍保存して年中親父の晩酌の肴に欠く事無く、サリーを褒め称えていました。
 私が感心した事は、池でも川でも鴨の群れを見つけて、弟が水辺の物陰に隠れたら遠く迂回してゆっくり水の中に入って飛ばさない様に弟の射程距離まで寄せてくるので泳いでいる鴨を撃って飛びたった鴨も撃つので沢山獲れるのです。
一発でカルガモを五羽獲った事もあります。
 さてサリーを手放した社長の話に戻ります。
1984年5月2日生まれのポインターのサンランド・ハイエスト・スージーを、1984年6月28日に購入しました。
スージーもサリーと同じWing&Shot鼻入れ基礎訓練を行って譲渡したのですが、後の訓練に失敗して暴走犬になってしまったそうです。

  

★ サンランド・ハイエスト・ジョリーは、三才で天国へ旅立ちました。
以下の文章を読み上げます。
 私はケージへジョリーを残して他の犬の訓練を30分位行いました。
訓練を終えて車へ引き返してジョリーの入ったケージを見ると荷台に食パンの切れ端が入って居るのを見つけました。
手に取ってよく見ると端っこに青っぽい物が塗られている事に気付き、私は思わず、しまった、と独り言を言い目眩をおこしそうになりました。
そのピンと来た理由は、以下の経験や噂を聞いていたからなのです。
 私の母は長年隣のお百姓さんから畑を借りて自家菜園を楽しんでいました。
早朝、母から何者かに畑を荒らされて困って居るという相談がありました。
早速見に行ってみると種をまいた畑を掘り返していました。
たまたまその現場を見た隣のお百姓さんが、これはアナグマだと教えてくれて、家に農薬のランネートがあるので、これを使って退治したら良いと言われランネートを貰って食べ物に付けて置いていたら翌朝大きなアナグマがもだえ苦しんで、その場での即死状態を見て恐ろしい農薬だと思いました。
 また、その年の噂で某県のビーグル競技会を行っているグループの中で全国大会へ出犬出来ない腹癒せに出犬資格のあるビーグル犬を毒殺した等の噂も聞いていました。
 ジョリーのケージは竪桟の内側に金網を張っていたので食べる事は出来ず舐めただけだったのか元気でしたが、近くの動物病院で治療して頂き青い塗り物も農薬に間違い無いという事でした。
ジョリーは夕食も翌朝の朝食も一口も食べる事無く寝たっきりで体全体の力が無くなってしまった感じになってしまいました。
この日は、午前中からソフトウェア協会の集会があったので外出し三時頃帰るとジョリーは朝寝ていたトイレと洗面所の前の通路で寝たっきりでした。
私がジョリーに声をかけると頭を上げて、私を見上げました。
私は、洗面所で手のひらに水を入れて、ジョリー水でも飲むかと声をかけると、手のひらの水をペロペロと舐めながら、私の目を大きく開いた目で見つめながらゆっくりと、目を閉じて眠る様に息絶えてしまいました。
私は思わず大声で泣いてしまいました。
ジョリーを手厚く田舎の犬猫のお墓へ葬った後にジョリーの神棚を作り榊をお供えして7年7ヶ月鳥猟犬を飼う事を止めて、土佐猟犬研究所の師匠が繁殖して譲渡した子犬のWing&Shot鼻入れ基礎訓練を手伝い乍ら本格的にエルフュー系統の研究に没頭して猛勉強を行う事になりました。
 これらの知識の甲斐あって、最終的に米国エルフュー犬舎から繁殖用のELHEW JAKEとELHEW MIDGEを譲渡して頂く事になったのです。

◆ 犬の起原からエルフュー系統を使った日本キジ鳥猟犬のWING&SHOT訓練を紹介します。
★ 飼い犬つまり犬の祖先が判明しました。
以下の文章を読み上げます。
 ミトコンドリアDNAの解析により犬は、今から約13万5000年前に、ユーラシア大陸の狼から派生した突然変異種であるという事実が証明されました。
この証明で従来有力だった犬は、狼とジャッカルとの混血であるという説が否定される結果となりました。
しかしながら、どちらの説が事実であっても犬の祖先はオオカミであると言う事については、一定の科学的な根拠があるようです。
犬の習性の中にオオカミとの共通点が多いのもうなづけます。
 因みに、「ミトコンドリアDNA」とは、細胞内小器官の一つで、ミトコンドリア内に存在するDNAのことです。
主にミトコンドリアの持つタンパク質等に関する情報が含まれており、ミトコンドリア自体が増殖や分裂して複製されてもその遺伝情報が保存され伝達されたものを言います。
 また、ユーラシアとは、アジア州とヨーロッパ州を一続きの大陸と考えた時の呼称でEurope と Asia を組み合わせた、かばん語の造語です。
ユーラシアは本来、大地形区分名で、地形学的には太平洋の列島群を除いた大陸地域を指します。
 鳥猟犬も、当然ミトコンドリアDNAが介在して居るので、系統繁殖や、異系繁殖で、見落とした欠点をないがしろにすると、ミトコンドリアの特質に先祖返りしてしまう可能性が高いので、ビジュアル、つまり見てくれと、血統的特質を見定める事の出来る繁殖者が要求されるのです。
この難しい選択が出来て努力をした繁殖者達が世界的に有名な系統繁殖に成功しているのです。

★ 犬の飼育管理から訓練する前の常識として、犬の目と耳と鼻の能力を知る事が大切です。

以下の文章を読み上げます。
 系統繁殖による鳥猟犬は、一般の犬と違って更に能力を高める為に、改良繁殖を行って来たので、犬以上の能力を持って居るのですが、ここでは、単なる犬の能力について解説します。

★ 犬の視力(目)についての常識
以下の文章を読み上げます。
 犬の視力は人間より低く、およそ0.2〜0.3以下で、物をはっきり見る事の出来る距離は、33〜50pで、ぼんやりとした見え方ですが、視野が広くて、真後ろ以外は、ほとんど見えています。
その理由は、犬も人間も、片目で見える視野は150度ですが、人間の視野が約120度も重なっているのに対して、犬の重なりは約60度です。
だから、両目で見える視野の範囲は、人間が約180〜200度で、犬は240〜270度まで見えるので犬は斜め後ろまで首を動かさずに見えるのです。
 犬の検知できる色は、青色と黄色です。
犬は、赤色は見えませんが、黄色・青色・灰色・そしておそらく汚い緑色っぽい茶色のような色調が、いろいろ見えていて、区別することができるのです。
 犬は赤と緑を見分けるのが苦手なので、運搬具に、赤や緑の運搬具を使うと、青い雑草の色と見分けられないことがあり、目の前にあるのに、探しまわる事があるので、運搬具のベストカラーは
黄色が最適です。
 犬には、動くものを追うための優れた動体視力が人間の4倍備わっています。
静止した物体より、動きのある物体を見分けることが得意で、動く標的なら800m先にあっても見分けることができます。
牧羊犬や狩猟犬の動体視力はさらに優れていて、1.5km先の標的も捉えるので、犬に声をかける時には必ず合図として体を静止しないで動きながら身振り手振りの動作が大切です。
 以上の様な理由から、
サングラスをかけての鳥猟犬訓練やハンドリングは、犬が人の目の動きを感知出来ないので、絶対に禁物です。

★ 犬の聴覚についての常識
以下の文章を読み上げます。
 犬が聞く事の出来る距離は、人間の4倍です。
人間は2,500ヘルツ以下の音しか聴き分ける事が出来ないのに対して、犬は8,000〜12,000ヘルツの音を聴き分ける事が出来ます。
また、音の強弱については、人間の16倍で、音源の確認できる方向の位置は人間の16方向に対して、犬は32方向を区別できます。


★ 犬の嗅覚についての常識
以下の文章を読み上げます。
 犬は昔から「鼻で考える動物」と言われています。
犬の嗅覚能力は人間の3,000倍から10,000倍と言われ、特定の臭い特に脂肪酸等の臭いに対しては、人間の100万倍以上とも言われています。
 従いまして、この素晴らしい能力を開花させ、鳥猟犬としての能力を発揮させるためには、常に聴覚と嗅覚を考慮して日頃の訓練が重要なのです。
 ところが実際の置き鳥を使った若犬や成犬の鳥猟犬訓練を見るにつけ一体何が目的で訓練しているのかさっぱり意味不明です。
声は大きいし、毎回必ず風下から、風上向けて狩らせる訓練なので、捜鳥能力を引き出す訓練にはなりません。
しかも置き鳥までの距離は僅か300メートル以下です。
これでは鼻の入った鳥猟犬は風下のスタート地点でゲーム臭を捉えてしまい、捜索能力強化の訓練にはなりません。

 せっかく鼻を使ってポイントしても飛翔ゲームを追わせる訓練を行い興奮させて失敗しています。
その興奮を猟欲が出たと勘違いして、更に同じ訓練を繰り返す事で、益々捜索能力が悪化するのは当たり前の話です。
この様な間違った訓練を平気で行っているのが現状です。

 それでは、実際に私が鼻入れ訓練を行ったエルフュージャパン・パトリシアのバードワークを披露致しますのでご覧下さい。
このビデオ映像は、バードワークが良く撮影出来るフィールドへSONYのビデオカメラを固定して撮影しました。
パトリシアは風上約300メートルの位置から風下向けて放犬しました。
下のlinkをクリックするとパトリシアの動画を再生します。
https://youtu.be/_OwMQl1Teqw へのリンク

以下の文章を読み上げます。
 このパトリシアと同じバードワークを完成さすためのエルフューポインターを使ったWing&Shot訓練は、輸入犬のLHEW JAKEとELHEW MIDGEと、この両親で二回繁殖した八頭で合計十頭の経験しか無いのですが、全て失敗無く仕上げる事が出来ました。
 私はこの十頭のWing&Shot訓練を行った結果Wing&Shot訓練が如何に大切であるか身をもって体験しました。
これは、当たり前の話でもあります。
 米国エルフュー犬舎でWing&Shot訓練を行う事で最良の系統を選び出す事が出来て世界的に有名になったポインターがエルフュー系統なので如何にWing&Shot訓練が貢献したかお解り頂けると思います。